荒地に自分の場所を作っていく。
以前確かほぼ日で読んだ記事と別の記事と自分のメモです。どこからが境目か分からなく、出典先も忘れましたがシェアします。少し長いです。
世の中は、自分なんか居なくても回る。
その世の中で自分の場所を作って食べていくには。
そもそも、自分の場所なんて、どこにも空いてないのです。
自分が社会に出る前から、世の中は動いています。
自分がいなくても全ては回ります。
だから、場所なんてないんです。
会社も同じです。
その会社がなくても、その事業がなくても、世の中には関係ありません。
だから、個人でも会社でも、自分で場所を作らなければいけません。
天下り先のように職業や業種が世の中にあるわけではありません。
よく転職を繰り返す人がいますよね。
会社や世の中や時代のせいにして、「今の環境では自分のやりたいことができない」という人がいます。
今の職場、今の環境、今の時代の中で、まず自分の場所を作る努力をするだけです。
努力してできたものが、自分の場所です。
みんなそうしてきました。
世の中は凄い速度で変化しています。
企業もそれに対応する速度が必要です。
その中で自分の場所を作れない人は自分の気分の悪さを、きっと世の中や会社の変化のせいにするでしょう。
指示された仕事をやれと言われれば、
やりたくないことをやらされてると言い、
自由にやっていいと言われれば、どうやっていいかわからないと言う。
ないものは、自分で考えて、自分で作り、やらなきゃいけないことは、できるまでやる。
そうやって、自分の場所を0から作っていくのだと思います。
環境が整っていて、決められたことをこなすのと、全く環境のない所に、0から作っているのと、どっちが楽しく、どっちが自分のためになり、どっちがやりがいがあるのか。
仕事も生き方も、自分の場所があってそこに行くのではないんです。
自分に目指す目標があるから、ただただ頑張るのだと思います。
その過程で、自分の場所ができてくるのだと。
会社や環境などは一切関係ありません。
もし自分が絵を描くアーティストであれば、砂漠の真ん中で、画用紙も筆もないから絵が書けないと言っている場合ではありません。絵を描きたかったら、木の棒で砂漠に絵を書けばいい。
書いても書いても満足しなかったら、やっと次の方法を考える。それまでは、書き続ける。環境のせいにするのは、最後の最後なのです。
事業も全く同じです。
ニーズを探して、それを提供するのも大切な仕事ですが、
これを流行らせたい!これはみんなのためになる!という気持ちを発信しまくって、自分たちの事業を世の中のサイクルの中での場所を確保していくのだと思います。
このコラムに共感できたのは、
過去の自分を振り返った時に、うまくいかない時に悪あがきをする前に何かのせいにしていたなと思うのです。
よく考えれば、世界から見たら日本にいるだけで、もうすでに何をするんでも恵まれた環境なんだと思うようになりました。
一見、本人は環境に恵まれてないように思ってしまうもの。
でもその自分の環境を羨む人もいるはずです。
客観的に見れば、自分はいつも恵まれているのです。
暇で暇でやることなくて環境に恵まれてないと文句言ってる人は、
人には「時間があって羨ましい。いろんなことにチャレンジできるのに」っと見えるでしょう。
環境がないというのは、ただの甘えか、チャンスが来てから頑張ろうとしているか、きっとそんな感じでしょう(自分がそうです)。
この話は、特にこれから社会人になる学生さんや社会に出てまだ日の経ってない人たちに知ってもらいたい、“学校では習わない社会の仕組み”だと思います。
・後から参入する者に、場所なんか空いてないのだ。空いているとしても、最悪の場所だけだ。前々からそれをやっている者が、めんどくさいから手を付けてない場所が、少しだ。
それが、いつも当たり前のことだ。
新しいなにかが生まれるのは、場所なんかもらえなかった者たちが、苦しまぎれに、「これしかない」とやったことからだ。
「少しだけ、空いてる場所を分けてください」と、平身低頭してお願いしているうちに、時間はどんどん過ぎていくし、いい機会も得られないままになる。
鉄道をひけなくても、自動車があった。
映画をつくれなくても、テレビがあった。
大きな舞台はなくても、小劇場があった。
大きな同業者組合ができているようなところに、新しく参入することを歓迎してもらえるのは、「これまでの権利を脅かさないやつ」だけかもしれない。
場所なんか空いてると思わないほうがいいのだ。居心地の悪い、座ればけつの痛くなるような荒地だけが、新しい人びとがスタートを切れる場所だ。
おそらく、道具も揃っちゃいないし、誰もが認めるすばらしい人なんか集まることもない。
しかし、そこが、場所なのだ。
・若い人に言うことは、じぶんに言うことでもある。あなたにも、ぼくにも、用意された場所はなかったはずだし、周到に計画された図面なんてものもなかったと思うのだ。
次の時代は、いつでも、場所なんかなかった者たちの場所からはじまっている。
道具がなければ、じぶんでつくる。
人手が足りなければ、寝ないでもがんばる。 そういう古臭い冒険心みたいなものが、肝心なのだ。
「どこにも場所が空いてない」ということは、いつも、新しいなにかの出発であった。