富士山を見るなら適切な距離がいい。
二十歳のころ富士登頂したことがあります。
個人的には
一度は行った方が良いと思いますが
大変過ぎて二度とよいかな、という感想です。
おかげさまで天候にも恵まれ雲海も
見れてめちゃくちゃ良かったのですが。
で、タイトルです。
富士山は大変美しいイメージがあります。
しかし登山したことがある人は
分かると思いますが
雪がなければ岩肌がむき出しですし
ゴミが落ちていたりします。
富士山を見るなら
近づき過ぎよりも
適切な距離があるのかもなぁと
思います。
これくらい?
富士山に限らず
物事なんでもかもしれませんが
適切な距離があるように感じます。
運命学勉強したい。
先ず断っておきますと
いわゆる怪しげな(失礼)セミナーに通いたいぜ、というワケではありません。
かのタイタニック号に乗り合わせ死んでしまった人達の、
共通項は何なのか
その因果関係を知りたい。
こういう意味合いです。
雷に撃たれたりとか
そういう出来事があると
そんなことを思います。
タイタニック号の乗船客達の
死ぬ運命は、いつの時点から決まっていたのか。
またその日死ぬことは、悪いことではないのか。
例えば、徳を積んでいなかったから、死ぬこととなったのか。
または、聖人君子の様な生き方をしていたのか。
そこに因果があるのならば。
また無いとするならば。
乗船リストとリストの人達の歩んできた人生を知りたいです。
想像の域は出ませんが、
全員悪人だから事故に遭ったわけでは
ないはずです
(タイタニックに関しては、処女航海なので、新しいもの好き、お金持ち、野心家とかそういう人たちが多く乗り合わせて居たのだと思いますが)。
そうすると
どうしたら死ぬ運命を
選択しなくて済むのか
どんな精神で生きていたら、、。
それとも文字通り運命なので
どう生きてもそうなる巡り合わせなのか。
心の在りようを変えて生きていくと
運命もまた変わるのか。
不慮の事故のニュースなどを見るたびこの辺りが頭をよぎります。
ちなみにこちらは
集団はバランス。その役目の人の責任と。
集団はバランスと思います。
例外はあるかもですが
それぞれの役割を
それぞれが無意識に演じるものです。
例えば。
その集まりで
わーわー口うるさく言う人がいると
他の人は無意識にバランスをとって
そこまでわーわー言わなくなる。
他には。
集まりからリーダー役を取り除くと
残った集まりからリーダー役が自然と生まれます。
で、以前思ったのは
集団で口うるさくする役に収まってる人
集団でリーダー役に収まってる人が
それぞれ必要十分な能力を
発揮していないと
集団は混乱するし上手く行かなくなる。
口うるさい人が
わーわー言うことで
状況が良くなるまで動けていないと
既にわーわー言っているので
集団ではその役の人がいるために
別の人がわーわー言いにくく
現状が変わらない。
以前集団を観察していて気付いたことです。
例外はもちろんあると思いますが。