3億円前夜。あの日私はただ…。
大学の頃のお話です。
当時友人6人と、きっかけは忘れましたが
「3億円を当ててこの夏を買おう!」と盛り上がり資金を持ち寄り、30,000円分(一口5,000円)計100枚の
「サマージャンボ宝くじ」を購入しました。
1.ノリノリで勇者(買う人)集め。
参加を渋る人には、「当たっても1円もやらないよ?」 と強く念を押しつつ勇者を募りました。 周りはバカばかりなのですぐに集まりました。
2.売り場探し。
どこの売り場が当たりそうかを探して回り、 気合、超十分で3万円を宝くじと交換。 その時私は、全身に黄金の闘気を纏っていました (後ろにいた友人談)。
その日はファミレスで宝くじ片手に大盛り上がり。 すでに当たった気です。
3.発表待ち。
当選番号発表日まで、宝くじは友人宅の神棚?に奉りつつ、静かに?その日を待ちました。 その間も「なにか(宝くじに)変化は無い?」 「明け方光った気がしたよ!」「やっぱりきてるよ!」 などと、無駄に確認をしたり拝んだり。
4.当選番号発表前夜。
前夜祭と称してメンバーで呑み会。
明日は億万長者だからと、居酒屋にて、すでに当たった気で大盤振る舞いの大盛り上がり。その盛り上がりっぷりは当選者のそれでした。
5.使い道案。
その後友人宅で一人5000万円の使い道をどうするかでまたも大盛り上がり。 各々真剣に使い道を話し合いました。
私「1000万は親にあげることにする。」
他「おぉ!親孝行だねぇ!」
完全に取らぬ狸のなんとかです。
5’コガネムシ事件。
その夜友人宅にコガネムシが舞い込みました。 我々は3億円の前兆だ、ともうドンチャン騒ぎ。 テンションはピークです。
私に至っては使い道を考えすぎて 興奮醒めず、ほとんど眠れずでした。そんなこんなで早朝を迎えました。
※後々知ったのですが発表は前日の夕方にテレビなりで放送されていたそうですが、我々は誰一人そのことに気づかず次の日の新聞発表を待つのでした。
勿体つけて後編(明日)へ続きます。
味噌バターの延長。みそ牛乳ラーメン。
以前、偶然見つけた看板に衝撃を覚え
いつか食べようと思っていたラーメンです。
こちらです。
みそ牛乳ラーメン。
失礼ながらこれはこれで、という感じでした。
いっとき流行った?
カップヌードルカレーを牛乳で作るというのと同様に
実際は違うのですが
この様に想像してください。
味噌バターラーメンってありますよね。
その先にあると言われると
まぁ、アリなのかと
思いませんか。
実際は
豚骨と野菜を牛乳で出汁を取ったスープで甘口です。
良かったらどうぞ。
八坪屋
https://www.google.co.jp/amp/s/s.tabelog.com/tokyo/A1302/A130202/13092146/top_amp/?client=safari
リアルかくれんぼ。
リアルかくれんぼ。
この写真の中にスナイパーが隠れています。
分かりますか。
全然見つかりませんよね。
良かったらご覧下さい。
この写真には10人のスナイパーが隠れています。
http://wired.jp/2015/02/03/hidden-snipers/#!/galleryimage_2
狙撃、されますよね。
芸術は分からんとです。芸術=集団催眠説。
真似して描けといわれたら
似たものは描けそうですが
0からこれを生み出すのは
出来ないと思います。
どの辺りにどう価値を見出すのかの
見方は
私は基本的にサッパリです。
絵画は皆んなが知っていることが価値、
と言われます。
芸術はある種の集団催眠ではと思ってしまいます。
そんな目線で
よくよく世の中を見渡せば
宗教をはじめ
ファッションや正義や社会、お金迄
洗脳に近い集団催眠とも言えそうですね。
既に集団催眠、洗脳にかかっている
という、大前提で
その洗脳されている脳みそで
自分なりの正解や生き方を
見い出せるかしら。
それは誰かの思想の焼き増しから
抜け出せているのかしら。
場所に縛られない働き方をしたい。
やりようでは可能ですよね。
決まった場所で仕事をすることから
解放されれば
かなり自由になりますよね。
親和性が高い仕事
例えば
作家
CGクリエイターなど
パソコンがあれば完結しそうな
内容はやりやすいですね。
この辺り模索したいなぁ。
目を引く手段としてのアンバランスさ。
先日電車の中で
キャップの空いた午後ティーストレートのペットボトルを
傾けて中身が溢れそうなまま持っている女性がいました。
その方が可愛いかったことも追い風(そこだよ理由は)で
その溢れそうなペットボトルの蓋はいつ閉めるの?と
なんだか閉めるまで気になってしまいました(可愛いかったからでしょ)。
これを見て。
まぁ言われていることでもありますが
相手に印象付ける手段を改めて感じました。
そつなく完璧な人より
どこか1つ、アンバランスさを感じるような
抜け感というか
ツッコミ所を作るというか。
その方が
相手から何だか気になってもらえたり
勝手に距離が近づいたように思ってくれたり
親近感を持たれたり
するんだと思います。
この勝手な親近感という部分では
「じゅんたの美術理論」
がありますがそれはまたの機会に。
ということで
ペットボトルの蓋は閉めずに
ちゃっぷんちゃっぷん言わせながら
持ち歩きたいと思います。