ごらんのスポンサー。
小さい頃ずっと勘違いしていました。
テレビコマーシャルに入る前の案内で。
各社スポンサーのロゴマークと共に
ここからは
「ご覧のスポンサーがお送りします」
よくナレーションされますよね。
当時長い間
「ごらんの」
という名前のスポンサーが、
番組を提供していると思っていました。
なので
どの番組も「ごらんの」スポンサーが
お送りしている、と。
「ごらんの」すごいなーと。
あの、ええ、
いまは思ってませんよ。
最近まで、では、ないです。
カプセル型オートバイ。
軽薄な感じはなぜ受けるのか。
話をしていて
軽薄な感じを受けるのはなぜか
ということを考えています。
軽薄な感じを受ける場合、
実際に、心を込めて話してない場合と、
心を込めている場合とがあると思います。
経験からなのですが
自分としては(心を)込めているつもりなのに
受け手には軽薄な感じを与えてしまうことがあり
その違いはと考えることがありました。
先日ある方Aさんの話ぶりから
軽薄な感じを受け、
またつい先日、
ANAのCAさんの遅延のお詫びの話し方からは
とても心がこもっている様に感じました。
この違いは何なのでしょう。
もしこの受け取られ方に反し
それぞれAさんも心を込めていたとしたら
こんなに勿体無いことはありません。
そこには
気持ちを実際に込める+技術
があると思います。
もっと言えば心を込めていなくとも、
技術でそう感じさせることができるということ
かと思います。
未だ答えは出ていませんが
過去を振り返ると
・返事の反応、スピードが速すぎる
→本人としては必死で聞いて返さないと、という気持ち。
→相手はちゃんと考えて言ってる??
ある人のやり方は
・伝えたい言葉を、一度掌に乗せて、その上で届ける
→間をおいて、伝える言葉を確認してから伝える、ようなイメージ
とのこと。
この辺りはひとつ言えそうです。
素敵なお詫びの話し方をされたあのCAさんに
やり方を聞きたいです。
相手の過去を知りたい時は相手と同じ方向を見る。
相手の過去を知りたい時は相手と同じ方向を見る。
そう思います。
それぞれがそれぞれ
それぞれの過去を持ってますからね。
プロセスを共有するといつしか共感が生まれるもの。
プロセスを共有するといつしか共感が生まれるもの。
経験としても
プロジェクトを一緒にひーひー言いながらやりきる中で
共感は生まれたなぁと思います。