妄想族のWakWakレポート

脳内で湧く『妄想』を好き勝手書き散らします。

未だ来ぬ不幸に目線が釘付けは、もったいない。

 


普段からプラスのことに目を向けるように


しています。

 


こちらは、ほぼ日の昨日のダーリンです。


考えていることがまさにでしたので


シェアさせてください。


やっぱりこんな風に捉えた方が人生は楽しいと思います。


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・映画や小説のなかに、幸せなことが続いているうちに、「そんなはずはない。なにか不幸なことがやってくる」と不安に襲われる登場人物がよく出てくる。じぶんが、そういう人であるとも言えないのだけれど、そういう傾向が、なくはないと思っている。これは、もともとあらゆる人間の思考のなかに「しくみ」としてあるものなのかもしれないので、あんまり大げさに心配してはいないが、「おれには、幸せを恐怖する傾向があるかもしれない」という気持ちは、なかなかぬぐい去れないものだ。

よく考えてみたら、その疑念があるからこそ、ある程度の慎重さを持って、ことに臨めたりできるし、いい気になって転んで大けがをしたりしにくいのだろう。それにしても、そういう疑いそのものが、ぼくや、ぼくのような人間が幸せになることを邪魔しているとも言えそうではある。

なにかよくないことがちらっとでも見えたとき、「きっとなにかとてもよくないことが起るのだ」と、身構えて、それにとらわれてしまうと、ひたすらに「なにかとてもよくないこと」への対処に、大きなエネルギーを使ってしまって、「よくないこと」の他にもあったはずの、「よいこと」が起る可能性が、無視されてしまったりする。そうなったら、「よいこと」に出合えるはずもなく、「よくないこと」とずっとつきあいながら、どんどん時間が経ってしまうということにもなる。

じぶんのなかに、そんな傾向がなくはないから、起るかもしれない「よくないこと」の可能性以上に、ぼく自身の「過剰な疑念」のほうに気をつけている。「よいこと」だけでなく「できること」だとか、「うれしいこと」「他の人のよろこぶこと」なんかに、目が向かなくなってしまったら、なーーーーんにもいいことがなくて、「未だ来ぬ不幸」に視線が釘付けになってしまうからだ。生来の楽天家なんてのは、おそらくいないわけで、悲観よりも先回りをして考えることが重要だと思う。