お金をかけずに、生きたまま魚を運ぶアイディアを出しなさい。
先日、ある人と話している時に、表題の問いを受けました。
何でも発想の転換的なアレを問う問題だそうです。
実はその方の説明不足もあって、
タイトルの情報のみの、問いについて私なりの答えを考えました。
(文末に調べて分かった本当の問いと、その答えも載せます)
皆さんであれば、どう答えますでしょうか。
「お金をかけずに、生きたまま魚を運ぶアイディアを出しなさい」
私の答え。
A,(運ぶ先で)待つ。
運ぶ先で魚が発生する環境が出来るまで、待つ。
おそらく数十万年位待てば、地殻変動が起こって運ぶ先で魚が発生する環境が出来る。
というもの、です。
いかがでしょうか。反則ですか?
お金の定義(何をコストとするか)によりますし、
結果的に生きた魚が発生する訳で生きた魚を運んで無い部分や、
過去からの(地球の)歴史を踏まえた推論であり、
不確定な未来を勘定に入れることの是非など突っ込みどころはありますが、
ひたすら待つかなと。
あとは、
A, 食べる。
(運搬者が魚を捕食し、運搬先に移動する)
魚は、運搬者の身体の血となり肉となり生き続けているため、仏教論的に移動したことに。
A, 稚魚(卵)の段階で運び、運んだ先で育てる。
魚の体積を少なくして、運搬コストを削減する。
A, 丸ごと飲み込み、運んだ先で吐き出す。
金魚の丸呑み芸的な。
(魚が)生きていることの定義を湾曲して捉え過ぎで、
ずいぶん勝手な、、と
たくさん反論が聞こえてきそうですが、、、。
もしも読者の中で私と同じ回答をされた方がおられたら、
失礼覚悟で申しますと、しょうもない妄想族ですねという言葉をお送りします(怒らないで下さい)。
そのときの模範回答は
A,天敵を生簀に入れる。
でした。
そもそも問いが、
水族館に魚を搬送する際に、鮮度良く魚を運ぶため、お金をかけずに行う方法とは?
というのが正しい問いでした。
搬送する魚にとっての天敵を1匹同じ生簀にいれて運ぶと
魚が喰われてたまるかと、元気なまま搬送できるのだそうです。
質問者の問いが正確でなかったため、横道にそれた話で盛り上がったのでした。