妄想族のWakWakレポート

脳内で湧く『妄想』を好き勝手書き散らします。

文章に血が通う瞬間は。

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こうやって駄文を毎日書いているくせに



しゃんとした文章はあまり書くことが無く、



そういう時は色々と無いアタマを捻ったり、



捻らなかったり諦めたりするのですが



そんな時



何となく、文章に血が通う瞬間はどこなのか考えたりします。




いかに長文だからといっても



あまりその人や、伝えたい気持ちとかが



感じなかったり、




逆に



俳句の様にたった17文字の超短文



でも血が通っている文章はあったりします。





日本語という意思を伝達するための文字を羅列する中で



どう羅列するとそこに血が通うのでしょうか。



どこに通う秘密があるのでしょう。



答えは出ていません。






ひとつ思ったのはその人のバックボーンが分かっていると



血が通っている文章になる場合がありそうです。



たとえばのほほんと生きていている私が



生きろ。



と言うのと、



ずっと闘病してきた方が



最期まで希望を捨てない中で




生きろ!




と言うのでは、文脈が違うというか



文字に重みが増すというか(生きろ、の後に、感嘆符!、付けましたけど)。








明快な答えお持ちの方、ご教示ください。















ということで、











全く血が通っていない文章を





今日も載せます。